失望・絶望

 

失望と絶望。同じような言葉なのに感じ方が違います。

望みを失うと書いて、失望
期待していたものに対して、望みが無くなった

望みを絶たれると書いて、絶望
期待すら持てない状況

 

こう言った感じなるのでしょうか?

普段の生活でも、

君には失望したよ

って言葉はあっても、君には絶望したよって言葉は使ってないと思います。
絶望の方が何もかも失われるくらい大きなショックだと感じます。

調べてみてもそんなに外れていないようなので、こんな感じで行きます。

 

 

 

 

なぜ失望・絶望するのか?

 

単純に言えば、

 

望みを持つから
期待を持つから

 

と、言えると思います。
望みを持って、その望み通りに事が進まなかった時に失望します。

つまり

期待が生じた時点で、失望が生まれる可能性が生じている

って事です。
期待通りに事が運んで、喜ぶか?運ばなくて落ち込むか?
そうやって出来事を楽しんでるとも言えますよね。
期待するから、喜びも生じます。
だから期待するのも楽しいことでもあります。

 

以前、聖者と呼ばれる人が語った言葉で感銘を受けた事があります。

もっとも楽に生きる方法は

何も望まないこと
ただ生きること

言葉は違えど、そういった意味でした。
瞑想でも、極意で書きましたが

何も求めず何も期待せず、ただ座ること

それをひたすら目指したことも有りました。

確かにそうやって生きることが出来れば、随分と楽に生きれることが出来ますよね。
これを目指すのも一つの生き方でもあります。

 

 

 

失望って悪いこと?

でわ、失望するって悪いことなんでしょうか?
確かに失望した時って、本当辛かったりします。絶望となると大変です。

でも失望・絶望した中から立ち直るって事を身に着けれるわけです。
それってとても大事な事です。
失望したままいつまでもクヨクヨしてて良いですか?
それより早く立ち直る方法を見付けた方が良くないですか?

 

そうやって何回も失望してたら、失望するのなんて気にならなくなりますよ。
その頃にはきっと、人をどうこうしようとか、環境をどうこうしようとか、そんな事も考えなくなっているはずです。
自分の心(見方・考え方)を切り替えれるようになってます(笑)

 

失望した時の事例

 

私が大きく失望した事例で話してみると

家族の関係で、

6歳年上の兄から暴力受けてた時、親に助けを求めたけど、まともに取り合ってくれなかった時はとても失望しました

守ってくれる。兄を叱ってくれると期待してたのにショックは大きかったものでした。

細かな内観の事は省略しますが、

親な過度な期待をするのやめた
誰も頼れないから自分で何とかするしかなくなった

もし、その時親に助けて貰ってたらどうだったろう?
確かにその時は本当に助かったと思っただろう、
でも、
いつまでも親に助けを求め続けるしか無かった。自分でどうにかしようとも思わなかった。
結局、その経験が自分を強く成長さてくれた。その経験があったからこそ、今の自分がここにいる。
そんな風に過去の解釈を変えていけるのです。