僕たちが幸せを感じるのは、結局体験の差異で幸せと感じていると思う。

貧しい幼少期を送ったから、裕福な生活を送れれば幸せと感じる
ずっと独り身だったのに、素敵なパートナーと一緒になれれば幸せと感じる
ずっと病気がちの身体だったのが健康に過ごせるようになれば幸せと感じる

こういったように、自分の体験と比較して、それより良であれば幸せと感じるように、脳が出来てると思う。

ある意味、今の世界はとっても幸せなはずだ。
戦時中の食べ物もなくて、餓死するような時代の人が今の時代に来れば、天国としか思えない。
でも、今の時代、本当に幸せそうな人ってどれくらいいるの?って逆に思うくらいだ。
僕自信も裕福な時代を生きてきているとは思う。でも、食べ物がじゅうぶんあるのは当たり前の体験しかしてないから、それが有り難いと頭では思っても、その餓死寸前の体験をしてないので、そこまでありがたみを感じない。
これは、体験してない人からしたら絶対そう感じてるはずだ。

今の世界も、先代の人たちが、自分たちの子孫は食べ物に困らないで幸せに生活して欲しいって願って出来た一つの姿だと思う、
でも、その十分な環境で育った子供は、そうは感じない。それが当たり前だからだ。
まあ、そのあたりは教育とかしつけとかその辺りも影響するとは思いますが・・・。


なので、結局、どうやってもみんなが幸せになれる世界ってのは訪れない。
過去、どうやっても平和は続かなかった。それも、やっぱりこういう仕組みも影響してると思う。
実際、私達人間のほとんどは、争いが好きなのだ。
よくよく見たらわかる、武器をとっての争いはしなくても、それは形を変えてるだけで、スポーツも争いだし、口論も争いだ。こういう自分の攻撃性ってのがよくわからないといけないし、その事実を認めないといけない。そして、それが人間って生き物だと思う。


目に見える世界が混沌としてるように、自分の世界も混沌としている。
結局、そこから抜けるには瞑想して理解するしかないと思う。
他には方法があるかもしれないが、僕からしたら、瞑想しかないと思う。それにほとんどのそれを理解した偉人達も瞑想が一番有益だと言ってる。

けど、瞑想したからと言って、幸せになれるなんてのも幻想だ。
そこは誤解してはだめだ。そんな事言ってる人は偽物です。
瞑想しようがしまいが人の人生は同じように展開していくが、そこへの理解が全く変わるだけです。