何でも取り敢えず実践・実行しないと何度も言っています

昔、自分をイジメた相手とかひどい事した相手がいて、そんな人が許せない

って言っていたとして、
これはその人がどの視点で許せないって言っているかが重要で、

僕が、

その人を許せない自分も許しましょう

って言えば、ハッ!って思う人もいます。
でも、これを側から聞いてた人が、

うん、許せなくて良いんだな

って思った人がいて、これは同じ事を言っても意味が全然違うんですよね。

まず、イジメた相手を何とか許そう色々試行錯誤して、どうやっても許せない。許したと思えても、許せてない。完全に許せるためにはどうしたら良いのか?って悩んでる人になら、僕の言ってることは凄いわかります。

でも、イジメた相手なんて許さなく良いって自分の心を全く変えない人には僕の言葉はその人の気持ちを変えなくて良いって取らるわけです。


昔の偉人とか、こうやって人前で話す事があって、でも受け取る人は、その言葉の意味が様々で、でも、結局、何もせず、偉い人とか凄いと言われる人の言葉をその人のレベルで言葉通りに取れないし、そっちの人の方が圧倒的に多いので、結局、昔の人の教えって言うのは歪んだ間違った教えしか広まらないって事です。

色々実践する人にはわかりますが、許せない→許したい→ちょっと許せたかも?→やっぱり許せない→許せなくても良い
みたいな一周回ってくる作業って結構あります。でもこの作業は絶対しないと駄目です。
他にもネガティブ→ポジティブになりたい→ちょとポジティブになれた??→やっぱりネガティブな自分でも良い
みたいな事もありますよね?
この作業は何をしているか?と言うと

固定された観念を逆方向に動かそうとすることでエネルギーの質が変わります
逆方向に動かそうすると、また元に戻ろうとする力も働きます(ただの物理法則です)
で、戻ってきたとしても、戻って来た場所は同じ場所ではないところです。
ネガティブ、ポジティブを繰り返してると、どちらでもそれを越えた視点に立てるようになるとかってことにもなりますよね。