今年最後の投稿となりますが、瞑想の話です
先日、妻と瞑想の話をしました。
昔、瞑想を習っていたときにその先生が
瞑想中に仕事の事を考えクリエイティブな事を行っている
って言うことを聞いて、瞑想の捉え方がだいぶ変わった。
みたいな事を話していました。
瞑想が無とか静寂とかそんなイメージを持ってしまってるので、そういう瞑想があるって思いもしないんですよね。
でもこういう話って言葉通りとってたり、瞑想の事を深く知ってない人だと間違って、瞑想中思考しまくったりする可能性は大ですよね。
これは思考と自分自身がうまく分離してれば全然ありって事です。
思考に飲まれてわけじゃなく、自分で、方向性をもたせて思考を湧かせてる状態なのでこれも瞑想です。
これも前言いましたけど、瞑想の事が深くわかると瞑想が起こってるだけって話の一つの話みたいな感じになります。
結局、この当たりまで瞑想がわかってくると、
瞑想が起こってるだけってわかる→人生も起こってるだけってわかる
ってなるんですよね。だから人生に無駄に抵抗しなくなっていきます。
そうそう、瞑想もそうなんですよね。
自分の中で起こる事に抵抗が無くなっていきます。
思考が起きても、気持ち良い瞑想だったとしても、気分が悪い瞑想だったとしても、ただそれを受け入れれるようになります。
それに関連して、苦しみも悲しみも人生では起こっていきますが、必要以上に苦しまなくなっていくってことです。
妻ともこんな話をして、あー通じるわ!って感動することがあるんですが、まあまずこの話で通じる人には出会えませんし、感覚的な話なので、人にも伝わりません。
今の僕の段階の話で言うなら、
今までの自分自身がどんどん薄らいでいきます
今、それを結構感じる事が多いです。
まだまだ先も長いでしょうが、これ以上変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
でも、生きてる限りこの道を延々と模索するのは変わらず起き続けていくと思います。
本年最後も瞑想の話
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