ホームページの事に色々瞑想のことも書いているが、一番突っ込まれない部分であります。スピリチュアル好きだけど、瞑想はしないとかある意味大事な物が欠けてるというのが私見です。

むしろ、一番大事な部分です。

昔、書いた内容もありますが、色々認識も変わった部分もあるのでまた改めて書いていきたいと思っています。

こうやって書くのはむしろ自分の為だったりしますけど。

瞑想を一言で言うと?

言葉では言い表せないくらい深い世界です。
ある意味すべてを含んでいるとも言えるかもしれまんせん。

初心者向けとかに瞑想を説明するのにわかりやすく表現する人はいるかもしれませんが、瞑想ってこうなのよ!って言ってる人は瞑想のことが何もわかってないかもしれません

深い瞑想の状態は脳波で言われたりしますが、その状態を表す言葉はむしろ脳波の方がわかりやすいかもしれません。

思考も含めてあらゆるものにとらわれない状態が深い瞑想では起きます。
瞑想=無になることと勝手に思い込んでる人が多いですが、無より深いものです。
無とは何もない状態ですよね?
もしそこに思考が起きたりしたら、無の状態ではなくなります。
有か無か?の二択ではなく、有と無を含む状態というのがあるというのが私見です。
その状態が目指すべき場所の一つであると考えます。

さてさて、瞑想のその状態が出来るようになったからって、これからが本番です。日常の中にどうやって瞑想を落とし込むか?という事になります。

お風呂で身体洗うように、瞑想で心も洗いましょう

みたいな表現の仕方もありますが、それは対処療法です。ストレスを蓄積しないための一つの手法ではあります。

そもそも日常でストレスを溜めないことが不可能なのか?
不可能を言ってしまえばそれまでですが、これを日常に落とし込むことが今の課題です。

まず心の扱い方を学んで、その後、幸い身体の使い方を学んで、色々わかってきました。

基本は身体の使い方も心の使い方も共通点が非常に多いということ。

基本頑張ってはいけません。
頑張ってはいけません

頑張っては絶対にいけません(笑)

身体の使い方はまた別に書きますが、筋トレなんて身体に頑張らせる使い方は理にかなっていません。

でも、運動も何もしない人は運動することで健康になるので、逃げ道に使わないでください。

あと、姿勢を整える事で、それも一種の瞑想にはなります。
瞑想をどういう意味で捉えるかによりますが、

姿勢を整えるということは、意識を少なからず、姿勢に向けることになります。つまり、その間は、思考の虜になりにくいわけですね。禅の修行なんでも、ゆっくり動いて一つの動きに全集中するってもあるらしいです。まあ、それみたいなものですね

思考を止めようとする瞑想もOK

以前、思考は止まりませんって書いた事もありませんが、思考を止めようとする瞑想も何も問題ないという事です。

逆に言うと、思考を止めようとする瞑想を実際やってみて、どうやっても思考は止まらないのだな。ということを身を持って体験してこそ、次に進めたりするということがわかりました。

自分がこっちで回り道したから、こっちが正解だと教えるより、同じところで躓いてる人に、そっちじゃないんだよ。って言う方が遥かに心に届くのです。
逆言うと、何も実践しない人たちには何も届きませんよね。