ある程度の年齢になれば、自分はどんな性格だ!
なんて言うことが出来るようになる。
明るい、内向的、おしゃべり、地味・・・・
様々だ

でも、そもそも自分のその性格ってなんだ?って事を考えた事ある人は少ないと思う。


性格って言うのは

他者との比較で生じる客観的意見

という事が出来ると思う。
僕なんてよく

優しい

って表現される性格らしい。
らしいってのは、自分ではそうは思わないけど、
世の中の人が僕の性格をそう表現するのもわかる
って言う意味。
なので、優しいねって言われると
そうでしょ?
なんて返したりするけども、自分ではそれを優しいとは思ってないけど、多くの人が僕のやる行動に関して優しいって表現するわけです。

明るいとか暗いとかの性格もあるけど、
それは多くは学生時代に評価が決まると感じていて

必ず30人くらいの集団が生まれれば、その中に当然と明るいって表現される人物がいて、その人物がどうしても目立ってしまう。
世の中の多くの人は、明るいほうが良いって思ってる世の中だから、当然その人と対比して、自分を暗いとか、まあ明るい方とかって集団の中で自分を定義づけしていっている。

じゃあ、日本で明るい人ってのが例えば、メキシコとかスペインとか違う国に行ったとして、同評価されるか?
って必ずしも明るいって評価されない可能性が高い。

こんな感じで結局、自分の性格なんて他者との比較で定義つけたものの一つとしか表現出来ないと思う。
時代も環境も変われば、当然評価も変わる。

そんな性格に縛れれる事は一切ないってのが一つの意見。
僕は、優しいし厳しいし、真面目だし、不真面目だし、明るいし暗いし・・・・
全部自分の一面なのは知っている。固定する気もないし、他者の評価はそれで良いと思う。
ただ、明るい性格が良い、社交的な性格が良いって、そこに善悪の判断を持ち込むならそうはならないと思う。

肉体と自分を同一視する限り、そこの縛りはむしろ大事なのかもしれませんがね。
なので、楽に生きたいなら瞑想して、そこの分離をしない限り永遠にこの問題と向き合わなければならないとも思います。