先日、携帯に電話がかかってきた。
もう8年ぶり?9年ぶり?電話帳に登録してたからわかったけど、
そのくらい昔に瞑想伝授した人からだった。

内容はまた伝授して欲しいとの事だった

もう僕は伝授とかやってない旨を話した。

この話を帰って妻に話したら

また何か変わりたいって思う事があったんじゃない?
って

なるほどね。スピリチュアルに頼ったりする時って、何かが辛かったりする事が多い。
この人がずっと瞑想してたかどうかはわからない。
でも、また伝授してもらったら何かが変わるかな?って期待があるんだと想像出来た。

僕は伝授なんていらない派だけど、僕みたいにガチで瞑想する人もほとんどいないので、そういう人は伝授が役に立つとは思うのが今の僕の考え。

でも難しいね。長年瞑想やってても全然の人もいるし、短くても凄い深い理解してる人もいる。
世の中のすべてに置いてそうなんだけど、時間だけの問題じゃない。
この人もずっとやってるなら10年以上は瞑想してるはず。でも伝授で何か変化すると思ってるところをみると深い理解は無いと思う。(もちろんこの伝授を受ける行動を批判してるわけじゃない、それで本当に変化があったりするから)


やっぱり大事なのはゴールをどこに見据えてるか?って話だと思う。
ほとんどの人が瞑想するにしても、目前の事しか考えてない。もちろんそれも大事
でも瞑想の先にあるのはいつもこの世の真理。
自分が本当は何者であるか?という問の答えとも言える。
これを知らない限り永遠と苦しみが続く

でも、みんなこういう事興味ないのもよくよくわかる。
僕は昔からそこにしか興味なかったけど、そこに興味がわくひとは極わずか。


何度も書いてますが、もちろん僕も真理の真理奥深くまでは理解してない。
でもいつも方向はそっちを向いてるから、年々理解が深まってる状態。
生きているうちに辿り着けるところまでは辿り着きたいものだ。